元徳稲荷神社

東京都墨田区立川三丁目18-2

元徳稲荷神社

平成25年元旦 元徳稲荷神社
元徳稲荷神社 平成25年元旦
東京都墨田区立川三丁目18番地2号
(三つ目通り 三の橋たもと)

慶長の頃(今から約390年前)三河の国の郷士河村徳右衛門は城主徳川家康の内帑金方御用を勤め苗字帯刀を許されていた。 日頃信仰心厚く稲荷の尊像を名工に依頼し是に京都伏見稲荷神社にて神璽を移し邸内に社を設け祭礼せしが此の社の始まりなり 家康江戸開府に当たり徳右衛門にも出府を命す 徳右衛門代々名主役を勤むると共に故郷の稲荷神社を邸内に移し日々尊崇せり 三代目徳右衛門妻女難性の腫物を患い、当時医師・漢方にては如何ともしがたく此の稲荷神社に祈願する事平癒す。 ここに近隣の町民霊顕赫赫(ひれかっかく)たるを知り日々祈願に蝟集(いしゅう)する者数を増すに至る。 特に歌舞伎9代目団十郎顔面に腫物でき、大いに苦しみたるに当社に祈願平癒せりと当時の古書に記録あり これより先参詣者跡をたたざりしにより特に三之橋に社殿を営み附近敬崇者総代の守護としてその名も徳右衛門の名を偲び「元徳稲荷神社」と称せり 明治に入り土地繁栄と共に縁日を開設す以後益々隆昌し出店商人200余軒を数うと言う。 大正12年3月社務を町会に開放さるるに及び同年5月「祭祀250年祭」が盛大に挙行されたり 大正12年9月及び、昭和20年3月の再度の災火にも尚神璽及び尊像の無事なりしは奇跡と言はんより如何に崇敬されしかを物語ると言うべし 戦後焼土の中よりいち早く再建の声起こり昭和23年5月社殿を造営 続いて玉垣の献納を見る爾後20年余年社殿も老朽せるにより昭和46年2月地元及び 近隣崇敬者による鉄筋コンクリート造の荘厳華麗なる社殿並びに お水屋を完成その落成式が盛大に挙行されたり、又同48年「祭祀300年祭」を挙行し同年7月戦前の如き縁日の復活を見るに及び 参詣者も次第に多きを見るに至り現在に及べり

立川三丁目町会